CASIO×MAU産学共同プロジェクト
WORKS

留学生、そして社会人として

サラ・アンダーウッドさん(さら・あんだーうっど 小平市国際交流員)

アメリカ合衆国出身。高校時代に日本語の勉強を始め、オレゴン大学で日本語を専門に学ぶ。早稲田大学へ1年間の留学。アメリカで銀行員として働いたのちに令和元年8月に小平市の国際交流員(CIR)に着任。

Member

モデレーター:矢野 美悠(やの・みゆ)
取材チーム:杏仁豆腐
矢野 美悠(クリエイティブイノベーション学科・1年)
山本 友紀也(芸術文化学科・3年)
金 度希(カシオ計算機)


Synopsis

サラ・アンダーウッドさんは国際交流員として小平市役所で働いています。
「なぜ日本なのか」「なぜ、市役所なのか」と思う方が多いでしょう。

サラさんが初めて日本の文化に触れたのは7歳の頃です。習っていたピアノの先生が日本の方で折り紙やひらがなを教えてもらっていました。中学生の頃、アメリカでは日本のアニメや漫画が普及し日本のポップカルチャーに触れることが多くなります。高校生の頃、日本語の講座を受け始めたことがきっかけで本格的に日本語を学び始め、大学で日本語と国際関係を専攻し、日本に2015年9月から1年間留学します。留学時にホームステイや日本一周、友人たちとの旅行を通して実際に日本の文化に触れました。しかし、長期間生活していく中で日本の良い面だけではなくその裏面も見え始めたと言います。

その後アメリカに戻り銀行員として働き始めますが、現在は小平市役所で国際交流員として働いています。日本人とは違った視点で市内の観光資源を精査しながら、海外の方が生活しやすくなるように多言語対応を進めています。そして地域の子供たちがアメリカの文化に親しんでもらえるような取り組みを行っています。

サラさんからみた日本の文化、そして留学後アメリカに戻ったサラさんが再び日本に戻り国際交流員になった経緯とその仕事内容について語っていただきます交流員になった経緯とその仕事内容について語っていただきます。


Session

参加者:外国人として日本で暮らしていて日本がもっとこういうところが変わったら外国人の人が住みやすくなると思いますか?

サラさん:多分、一番周りの友達が気になっているところは日本に何年間住んでも日本語が上手くなっても“外の人”として見られてしまうことかもしれない。なんか西洋の顔見て、日本語わからないなっていうふうに思う人が結構いて、それに混乱してしまいます。普通の人としての扱いをしてほしいなっていうふうに思います。それが変わったらすごく住みやすくなるなと個人的に思っています。

参加者:私は去年の4月に日本に行くつもりでしたが、新型コロナウイルスでいくことができなかったです。私は1年間ぐらい語学学校で日本語を勉強しています。ですが、私の話す機能と聞く機能があまり良くないです。サラさんは日本に行ってコミュニケーションで問題がありましたか?

サラさん:交換留学したとき、まったく日本語がしゃべれなかった状態です。だから、普段は、付き添って通訳してくれる人がいたんですが、ホストファミリーと過ごす時は誰も付き添っている人がいなかったんですよ。私はまったく日本語がわからないし、ホストファミリーもまったく英語がわからない。だから「来て」「食べる」とか、ジェスチャーを使ってコミュニケーションをとったんです。だけど、しゃべりたい気持ちが結構あったので、それがあるだけでなんとなくコミュニケーションがとれると思うんです。今も振り返ってみて、怪しい日本語が結構あったと思いますが、頑張る気があるだけで相手も親切に話してくれたり、それだけで日本語の勉強にもなると思うし、あんま怖くないかなっていうふうに思ってるんです。


From Student

「知る」そして「発信する」
矢野 美悠
(やの・みゆ クリエイティブイノベーション学科・1年)

私は上級日本語1-4の授業で初めて「多文化共生」という言葉に出会いました。「多文化」と「共生」、どちらもわかるようで明確に形容できない言葉です。文化は国でも地域でも違いだけではなく、学校内ルールや家庭内ルールといった日常生活においても存在しています。多文化という言葉に集約されていますがこの言葉には自分の知らない文化も含まれており便利な言葉で終わりではないと感じました。「共生」、文字の通り考えれば「共に生きること」ですが、生きるとは何かそのために何が重要なのかが捉えにくい言葉です。キックオフミーティングの際に行った、多文化共生の定義を考える話し合いで「認め合うことが共生といえるのか」という議論になりました。お互いに干渉しなくても相手の文化の存在を知っておくことも共生ではないか、認め合うまでいかなくても理解することが共に生きる上で重要なことなのではないかなど様々な意見がありました。私は認め合うという言葉でまとめるのはわかったフリをしているだけのように感じ「多文化共生」とは互いの考え方や価値観、習慣の違いを知り、同じコミュニティに存在していることを理解することであると自分の考えをまとめました。

このプロジェクトの集大成であるイベント「私の歩いてきた道:多文化共生への対話」を終え、改めて「多文化共生」とは何かを考えました。私にとって「多文化共生」とは「互いを知ることをきっかけに理解すること」だけではなく「自ら発信することで様々な方々と関わりを持ち、安心して存在できるコミュニティを広げること」でもあると考えます。取材やイベントを通して、サラさんが日本への留学時に旅行やホームステイなどで出会った日本人の方との思い出や国際交流委員として子供たちへアメリカ文化の発信をしていること、英語の音声ガイドの制作をしていることを知りました。サラさんは日本の文化を受け取る側でもあり、自身の文化を発信する側でもあります。異なる文化が共同の社会に存在するためには受け取り手として知ることだけではなく発信していく、能動的な動きも大切だと気づきました。